2018/03/10 18:00
フィリピンのマニラから広州へ
マニラ空港(左上)から広州空港(真ん中上)へ飛行機で移動。途中、飛行機から広州を撮影(右上)しました。
そして、広州空港から地下鉄でホテルへ、ここで3泊します。
(約3,350円/泊、朝食なし)
広州では、グーグルマップの現在地が約200mズレていて、ホテルに辿り着くのに苦労しました。(ー ー;)
2018/03/11 10:00
地下鉄(左上、真ん中上)に乗って、沙面公園(右上)と陳氏書院(他)へ行きました。
陳氏書院は清代の1888年に建設が始まり1894年に完成。
当時の広州72県に在住していた陳一族の人々による寄付で建立された、広東省の有名な族祠建築物だそうです。
2018/03/11 12:00
越秀公園(左上、右上)は、3つの人工湖と7つの人工の山、5つの丘陵がある、総面積約84万㎡の公園。
中山紀念堂は、辛亥革命(1911年)の指導者孫文(1866-1925年、号は中山)を記念して、1931年に広州市民と海外華僑の献金によって建てられたもの。場所は1921年に孫文が大統領に就任した官邸跡地にあります。紺色の瑠璃瓦が美しい八角形のホールの高さは58メートル。5000人を収容でき る内部には、柱は一本も使用されていいません。中国人技士によって造られた独特の構造で、音響効果も大変良いそうです。
右下はサッカー場。そう言えば、広州に強いサッカーチームがありましたね。
2018/03/11 14:00
南越国の君主であった文帝趙バツの墓が出土したのを受けて、1993年に博物館が完成しました。墓とそこからの出土品が展示されていました。
2018/03/11 18:00
広州塔(上3枚)はテレビ・ラジオ等の放送・通信施設や展望台だけでなく、展示場、会議室、ホテル、回転レストラン、立体映画館、ゲームセンター、各種店舗、庭園や空中回廊等があります。
展望台に登る高さ(真ん中上)で、入場料が異なります(約2,500円〜7,000円)。
下3枚は、広州塔近くの川畔の風景。
2018/03/12 10:00
広州から世界遺産の「開平の望楼群と村落」へ地下鉄やバスを乗り継ぎ行きます。
まず地下鉄で芳村バスターミナル(上2枚)へ。芳村バスターミナルの最寄駅は、地下鉄 芳村駅ではなく、2駅先の地下鉄 坑口駅でした。それが分からず、現地の人に聞きまくりました。(ー ー;)
そして、バス(真ん中左)に約2時間揺られ、開平の義祠バスターミナル(真ん中右)に到着。帰りのバスの時間を切符自販機で確認(左下)。
ここからローカルバスに乗り立園へ。
立園から馬降龍村と自力村へは無料バス(右下)が出てます。無料バスの時刻を確認(真ん中下)して、いざ観光開始です。
2018/03/12 13:00
世界遺産 開平の望楼群と村落は、広東省開平にある、ディアオロウ(碉樓)という高層の楼閣で著名な村落群。現存の高層楼閣は1833棟もあり、これらの楼閣は華僑洋館と呼ばれる西洋風の高層建築で、中国の伝統と西洋の建築が上手く融合しています。
開平の望楼群と村落の内、立園、自力村、馬降龍村を訪れました。
この写真は立園で中国華僑である謝維立氏の別荘庭園です。
2018/03/12 15:00
■自力村
村内には9個の楼と6個の盧(西洋式別荘)があります。1919年〜1948年に建設されたそうです。
■馬降龍村
5つの小村(永安、南安、河東、慶臨、龍江)が数珠繋ぎになって構成されており、竹林に13の洋楼があります。
2018/03/13 10:00
広州に戻り広州最後の観光。
六榕寺は、中国南北朝時代の537年に広州に建設され、元々宝荘厳寺と呼ばれていたそうです。北宋の政治家で詩人、書家としても知られる蘇軾が、政争によって広州に左遷された際に、この寺を訪れ、そこで彼が見た六本の榕樹の美しさを賞賛し、「六榕」と書いたことから、以後六榕寺と呼ばれるようになったと伝えられています。
2018/03/13 19:00
広州からクアラルンプールへ。
飛行機から西沙諸島が見えたので撮影しました(上)。
クアラルンプール空港(真ん中左から二つ目)からバス(真ん中右)でホテルへ向かいます。途中で4つのビルが渡り廊下で繋がった建物を見つけました(真ん中右から二つ目)
このホテル(下)に2泊します(約2,350円、朝食付)。
2018/03/14 10:00
電車(右上)でバツー洞窟へ
バツー洞窟はマレーシア随一のヒンドゥー教の聖地です。
洞窟内には多くのヒンドゥー神話に基づく展示や壁画がありました。洞窟を形成する石灰岩はおよそ4億歳だそうです。
洞窟に入るため、272段の階段を登りしました(左下)。
疲れたので、ココナッツジュース(右下)にて体力回復‼️
2018/03/14 13:00
クアラルンプール市内に戻り観光再開。
■ペトロナス ツイン タワー (真ん中)
1998年に完成。イスラム様式で、マレーシアのモスクに近似する尖塔が特長的です。建設当時は尖塔を含めた高さが452メートルであり、全高442メートルのシアーズ・タワーを抜き超高層ビルとして世界一になりました。しかし2003年10月17日に台湾の台北市に建てられた全高509メートルの台北101に世界一の座を奪われました。現在も2本のビルが対であるツインタワーとしては世界一の高さです。
■KLCC公園
競馬場の跡地を公園用地として転用して作られた公園。面積は約10万㎡。
KLCCとはKuala Lumpur City Centreの略語です。
夜間は30分おきに噴水⛲️ショーが行われてました(左下、右上)。
2018/03/14 16:00
■KLタワー(左上)
通信塔としては世界第4位の高さ(421m) 。右上は展望台から撮ったクアラルンプール市街です。
■マスジット ジャメ (旧モスク)
(真ん中2枚)
クアラルンプールにある市内最古のモスクの一つ。
「泥の交わる地点」を意味するクアラ・ルンプールの語源となったクラン川とゴンバック川が合流する地点の上流に立地しています。
1965年にマスジッド・ネガラ(国立モスク)が完成するまで、クアラルンプールのメインモスクでした。
■ムルデカ スクエア(下2枚)
1957年にイギリスからの独立を宣言した歴史的な場所です。
1957年8月31日午前0時に、この広場に掲げられていたユニオン・ジャック(英国国旗)が降ろされ、代わってマラヤ連邦国旗が掲揚されました。
2018/03/14 16:30
マレーシア最大のヒンドゥー教寺院。1873年建設。寺院はもともとクアラルンプール駅近くにありましたが、1885年に現在の場所に移されたそうです。
2018/03/14 18:00
1964年建設されたマレーシア最大のモスク。礼拝堂(左下)には、約8000人を収容できるそうです。
右下はマレーシア イスラム美術館 。
2018/03/15 12:00
クアラルンプールのバスターミナル(左2枚)からバス(左上)でマラッカへ行きます。右下2枚は、マラッカバスターミナルです。
マラッカは、東アジア、東南アジアで他に類をみないユニークな建築様式、そして文化的な町並みを構成していることが評価され、2008年、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。
2018/03/15 13:00
オランダ統治時代のレンガ色の建物が並ぶ、マラッカのランドマーク的な広場。
噴水(右下)を中心とした広場にマラッカ・キリスト教会、時計台などが並んでいました。
2018/03/15 14:00
セント・フランシスコ・ザビエルは、日本の教科書でもおなじみのスペインの宣教師。
彼が日本に来たのは1548年ですが、日本に来る前に、マラッカでカトリック教会の教えを布教していました。
彼にまつわる教会は、世界に10カ所以上あるそうです。
マラッカでの熱心な布教と彼の功績を讃え、1849年に建築されたのがこの教会です。
2018/03/15 15:00
セントポール教会は、ポルトガルの指揮により1521年に建築されました。
下の写真は、フランシスコ・ザビエルが殉教した後、インドのゴアに運ばれるまでの9ヶ月間、遺体が安置されていた場所です。
2018/03/15 15:30
15世紀に栄えたマラッカ王国の宮殿を復元したもの。
右上の写真は、1409年に名君パラメスワラが明の提督鄭和を迎える歴史的瞬間をろう人形で再現したものです。
2018/03/15 16:00
■マラッカタワー(左上)
2008年建設。360度のパノラマビューが楽しめる回転展望台があります。
■サンチャゴ砦(右下2枚)
1511年にマラッカ王朝を駆逐し植民地経営に乗り出した、ポルトガルによって建造されました。
シンプルだが堅牢で、中世ヨーロッパのデザインを今に伝える貴重な建造物だそうです。
後にマラッカを征服したオランダの東インド会社もこの要塞を利用したそうです。
■マラッカ海洋博物館(右上3枚)
外から撮影!中には入ってません(ー ー;)
■ジョンカーストリート(左下2枚)
昼は旧市街のただの商店街ですが、週末の夜はマラッカで一番エネルギッシュな通りへと変貌するそうです。
2018/03/15 16:45
■青雲亭(上3枚)
マレーシア最古の中国仏教寺院。
明の永楽帝の命を受け大遠征を指揮した海軍大将「鄭和」の功績をたたえ1646年に建立されました。
■カンポンクリンモスク(真ん中3枚)
マレーシア最古のモスク。1748年に建築されたと言われています。堂内の壁にはイギリス製とポルトガル製のタイルが使用されているそうです。
■スリポヤタヴィナヤガールムーティ寺院(下)
マレーシアで最古のヒンドゥ寺院。
ほんの100mの距離内に3つの建物があります。
2018/03/15 17:00
■オランウータンハウス(左2枚)
マレーシアを代表する国際的な画家チャールズ・チャム氏のアトリエ兼、ギャラリー。
■ババニョニャヘリテージ博物館(右上)
1896年に建てられたプラナカンの邸宅をそのまま利用した博物館です。
その他マラッカの建造物(右下2枚)です。
2018/03/16 14:30
マラッカから一旦、クアラルンプールへ戻り、翌朝ペナン島へ行きました。
疲労も溜まってきているので、電車で移動しようと思いましたが、満席で切符が取れない為、バスで行く事にしました(左上)。
バスでバタワースまで行き、そこからフェリーでペナン島へ渡ります。
左下はフェリー。
右上はフェリーに乗り込む所。
真ん中右は、フェリーの中です。車と人の混載です。
暫くすると、ペナン島が見えてきました(右下)。
2018/03/16 15:30
15世紀後半から数世紀にわたり移住しマレーシアに根付いた、主に中華系移民とマレー人との末裔を称してプラナカンと呼びます。彼らは英国がマレー半島を支配していた時代に貿易などのビジネスで富みを築来ました。
この博物館では、プラナカンの日常生活を見る事ができました。豪華です。
2018/03/16 16:30
この辺り、ジョージタウン一帯が世界遺産に登録されています。
コーンウォリス要塞は、1786年にイギリス東インド会社のフランシス・ライトが、ケダ州の王より奪ったペナン島に最初に上陸した場所に築いた要塞。
当時のイギリスにとって、植民地をオランダやフランス、海賊などから防衛する海上交通上の要衝でした。
右下の写真にビクトリア メモリアル時計塔が写っています。
この時計塔は、1897年に地元の慈善家であるチア氏が、当時のヴィクトリア女王即位60周年を記念して建造。高さは即位の年数と同じ60フィート(約18.3m)です。
2018/03/16 18:30
気温36度の中を歩き、汗だくです。
ホテルにチェックインしシャワーを浴びてから出直しです。
ホテルはなんと天蓋付ベットの部屋です(真ん中左)。^_^
でも部屋には外から南京錠で鍵をかけるようになっており、屋敷牢みたいでした(左下)。(ー ー;)
約2,800円/泊(朝食付)
2018/03/16 20:30
1801年建設のインド系ムスリム寺院。
1910年に現在のインドムーア様式に改築されました。「カピタン・クリン」とはインド人イスラム教徒カウダー モフディーンの尊称です。
ライトアップされたモスクは綺麗です!
2018/03/16 21:30
ペナン島シンボルの地上約250mのビル。65階に展望台、68階にスカイウォークがあります。
夜はライトの色が変わります(上2枚)。
左下は、クー コンシー という中国寺院。19世紀前半に中国福建省から来た邱(クー)一族の先祖を祭る廟です。屋根や外壁の美しい彫刻が有名なのですが、行った時には閉まってました。(◞‸◟)
2018/03/16 22:30
最後にお食事サマリーをお楽しみ下さい。
■アッサムラクサ(上3枚) ペナン
ペナン島のJoo Hooi Caféという店のアッサムラクサ。VIPも立ち寄るほど人気店。
そんな綺麗な店じゃないけど、味は抜群! 一度でラクサが大好きになりました。
■香菇滑鶏飯(真ん中左 、真ん中 ) 広州
とても美味しかったけど、屋台に毛が生えた様な店だったので、翌日、お腹の調子が良くなかったです!
■ナシレマッ(真ん中右 )
クアラルンプール
マレーシアの国民料理の一つです。ピリ辛味で食欲をそそります。
■ホッケンミー(左下 ) マラッカ
スープ麺。大量のエビからダシをとり、そこにチリを加えて何時間もかけて濃くのあるスープを作り上げるそうです。
■牛腩粉(真ん中下 ) 広州
広州の国民料理。
■右下 広州
ピリ辛で、麺が春雨。名称不明。